こんにちわ。keiです。
パラリンピックも中盤に入ってきましたね。
今日は、アーチェリーで注目されている大山晃司さんについて調べてみました。
先日、ご紹介した岡崎愛子選手とアーチェリー混合団体にも出場されています。
①大山晃司のwiki風プロフィール
②大山晃司の職業は?
③大山晃司の競技成績は?
について調べてみましたのでどうぞ最後までお付き合いください。

目次
大山晃司のwiki風プロフィール
名前 | 大山晃司(おおやまこうじ) |
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生年月日 | 1991年10月21日 |
出身 | 千葉県松戸市 |
高校 | 専修大学松戸高校 |
大学 | 専修大学 法学部法律学科 |
所属 | 警視庁 月島署会計課 |
警視庁の五輪・パラ5選手 「たくさんの人の活力に」
https://t.co/if4GInoOyh#パラアーチェリー #アーチェリー #Tokyo2020 #大山晃司— 日本身体障害者アーチェリー連盟(パラアーチェリー・JPAF)公式 (@para_archeryjpn) July 27, 2021
出場競技種目/障害クラス
アーチェリー男子個人/W1(車いす使用四肢麻痺重度)
アーチェリー男子団体/W1(車いす使用四肢麻痺重度)
高校や大学でのスポーツ経験は?
大山選手は、高校時代はサッカーをしており、大学時代は体操をしていました。
もともと、スポーツをするのが大好きだったようです。
大学在学時に大怪我
大山選手は、大学3年の時、体操の練習で新しい技に取り組んでいた際、首から地面に落ちてしまいました。その時は、首から下の感覚が全くない状態でした。
その後、頚椎損傷という診断が下されました。
首から下が動かなくなるという状況に当時は、「すべてが終わった」と思ったそうです。
アーチェリーの世界へ
大山選手は、もともとスポーツが好きでした。
リハビリの一環で、何かしらの競技をやりたい気持ちが強かったそうです。
水泳や車いすラグビーに取り組んだそうですが、どちらも自分の体に合わなかったようです。
そんな時、障がい者スポーツセンターを見学していると、アーチェリーをする選手に出会いました。最初は、腕が上がらず弓を引けない事に悩みましたが、口を使って弓を引くことが出来ることを知り、アーチェリーを始めたのがきっかけです。
最初の1年は、練習練習の日々でしたが、公式戦に出るようになったその年に全国大会で優勝しました。大山選手としては、結果よりも内容を重視していたいようですが、当時から競技センスが高かったことを証明しています。
大山晃司の職業は?
大山選手の職業は、警察官です。
警察官への憧れを頂いたのは、中学生の時だったそうです。
職務質問で声をかけられたときに、「自分も警察官になりたい」と思ったそうです。
ただ、頚椎損傷という大けがをし、すべてを諦めかけた時に、リハビリの専門医の方から「1年リハビリを頑張ってみなさい」という言葉から、「リハビリを頑張ったら、警察官になれるかも」と思いリハビリに励みました。
大学4年次に警察庁の障がい者枠を知り、公務員試験を受けましたが落ちています。
しかし、どうしても諦めきれずに再度受験し、2015年に警察行政員として採用されました。

大山晃司の競技成績は?
2018年 |
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2019年 |
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2021年 |
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記録は、素晴らしいですね。
大山選手は、2019年の代表選考から外れてしまい本当は、パラリンピックは出場で着ない状況でしたが、ライバル選手の仲喜嗣さんが突然亡くなってしまわれたために、思いがけず代表入りすることになりました。
仲喜嗣さんへ「メダルを取る姿を見せたい」と思いを語っています。
パラリンピック結果
アーチェリー男子個人(車いす)
ランキングラウンド:9位
一回戦:大山晃司 ○-● 具 東爕 (韓国)
準々決勝:大山晃司 ●-○ ニハト・トゥルクメノール (トルコ)
アーチェリー混合団体(車いす)
ランキングラウンド:日本(大山晃司・岡崎愛子)4位
準々決勝:日本(大山晃司・岡崎愛子)●-〇(エレーナ・クルトワ・アレクセイ・レオノフ)(ロシア)

最後に、、、
いかがでしたでしょうか?
大山選手の経歴は、凄まじいものがあります。
自分が同じ状況に陥っていたら、きっと腐って何もしなかったと思います。
努力に努力を重ねて今があることに感動を覚えました。
個人のメダルにも期待していますが、岡崎選手との団体戦も応援したいと思います!